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カンボジアの歴史的背景

約30年前、カンボジアポル・ポトの支配する信じられないような歴史を経験しています。現在は一見平和が戻っているものの、やはり当時の影を引きずっています。

中世~近代

カンボジアはクメール帝国として9世紀から13世紀に栄えていました。アンコール・トムに王都が置かれ、インドシナ半島全域を支配化に置いていました。その後、国力が衰え、タイ、ベトナムの支配下に入っていく中で、アンコール遺跡の存在も歴史から忘れられていきます。

19世紀中頃からフランスによるインドシナ半島の植民地化が始まり、アン・ドゥオン王の子であるノロドム王はフランスと交渉し、カンボジアはフランスの保護国になります。1887年にはカンボジアが仏領インドシナに編入されました。

1940年には日本軍がインドシナに侵攻し、この機に乗じてノドロム・シアヌーク王は1945年3月12日にカンボジアの独立を宣言しました。しかし、日本が連合国に降伏すると、1946年には再びフランスの保護下に戻り、独立は消滅してしまいます。

現代

ノドロム・シアヌーク王の時代

その後もノドロム・シアヌーク王は粘り強く独立運動を続け、1947年には憲法を公布、1949年にフランス連合内での独立を獲得しました。1953年には警察権・軍事権を回復し、完全独立を果します。

カンボジアは、隣国ベトナムに広がる戦渦に巻き込まれないために、また国際的な東西対立の波に飲まれるのを避けるために、中立政策をとることによって国内の平和を保とうとしました。1955年、アジア・アフリカ会議 (バンドン会議) において、ノロドム・シアヌーク王は非同盟・中立外交政策を表明します。

一方、国内では、1955年に国王の座を父ノロドム・スラマリットにゆずると、右派左派を問わず諸政党を吸収してサンクム・リアハ・ニヨム (人民社会主義共同体、サンクム) を組織、自らその総裁に就任し、同年の選挙では82%もの得票率で全議席を獲得しました。そうして「独立の父」としての国民の圧倒的な支持を背景に、自ら国政の指揮をとり始め、カンボジアに比較的安定した平和な時代をもたらします。

しかしながら、60年代後半に入ると、経済状況の悪化に加え、ベトナム戦争のあおりを受けて米軍からの爆撃にさらされるなど、国内の不安要素が拡大。こうした中でのノロドム・シアヌーク王の独裁的な国家運営に対する不満を、ノロドム・シアヌーク王は強圧的な手段で押さえつけようとしました。

ノロドム・シアヌーク王の求心力が弱まる中、1970年3月17日、当時の首相ロン・ノルによる無血クーデターが起こります。ノロドム・シアヌーク王は国会の投票によって国家元首の座を追われ、同年10月9日には王制の廃止と共和制への移行が承認されました。政権を握ったロン・ノルはアメリカ合衆国の動向に大きく影響を受け、ベトナムの戦火にも否応なしに巻き込まれることとなりました。

ポル・ポトの時代

北京に亡命したノロドム・シアヌーク王は、「カンプチア民族統一戦線」を結成、ポル・ポト、キュー・サンパン、イエン・サリらの率いる共産主義勢力クメール・ルージュと手を結び政権の奪回を画策します。こうしてカンボジア人勢力同士の対立も激化し、カンボジア社会は混乱し疲弊しました。

クメール・ルージュを中心とした民族統一戦線は1975年4月17、プノンペンへの入城を果たし、ロン・ノル政権は崩壊、政権を握ったクメール・ルージュは共産主義国家「民主カンプチア」を打ち立て、内戦は一応の終結を迎えます。しかしポル・ポトらは、毛沢東と文化大革命の思想を奉ずるままに、排外的な民族主義と、急進的な共産主義、農本主義に裏打ちされた政策を進めました。

解放軍は首都プノンペンに入るとすぐに全プノンペン市民に対し24時間以内に市街へ退去するように命じました。老人、子供、あるいは病人や怪我人があっても無理やり市街へ追い立てられ、プノンペンの全市民は目的も行き先も分からないまま、着の身着のままで地方の農村部へと歩いて行かされました。

逆らう者は容赦なく殺されました。同様の行いが全ての都市でなされました。これらはあまりに迅速に実行されたので国外に逃げられた人はほとんどいなかったといいます。猛暑、食料不足、激しい疲労により何千人もの人々がこの行軍で倒れ、また親兄弟とはぐれてしまう者も少なくありませんでした。そして、市民を移住させた後に、以下の政策を施します。異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑されました。

  • 私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
  • 電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止
  • バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止
  • 全ての教育機関の廃止と書物の焼却
  • 仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止
  • 都市市民の農村部への強制移住
  • 全ての5歳以上の子供の親からの隔離
  • 自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚

次に、ポル・ポトは理想国家の建設のために協力者を集め始めます。「国を良くするため」、「理想国家を作るため」とうそぶき、資産家、医師、教師、技術者、僧侶、海外に留学している学生などを集めました。しかし、ポル・ポト兵に連れて行かれた彼らは二度と帰っては来ませんでした。

かつて、フランスに留学していたポル・ポトは民衆の集団決起の強さというものを知っていたのです。そのため、将来自分に歯向かうかもしれない民衆、その指導者になれそうな教養を持った人間を一掃しようとしました。

農村に集められた人々は、農作業や水路建設など、1日10時間以上にもおよぶ苛酷な強制労働に従事させられました。不満を言う者、働けない者は殺されました。「疲れた」と言っただけで、家族に至るまで全て殺されたといいます。密告を奨励し、ろくに調べもしないで殺されました。少しでも正義感が強い者は、それだけで家族もろとも殺されました。反乱の芽は種になる前に摘まれたのです。

国民はポルポトに従うしかありませんでした。ポル・ポト兵に入隊できるのは13歳以下の少年に限られていました。ポル・ポトの意向通りに洗脳し易いからです。結果、少年達はポル・ポトを神とあがめ、命令があれば肉親でも殺すようになります。1975年から1978年の3年間のポルポト政権の期間で、国民の1/3に当たる約200万人以上の死者が出たといわれています。

平和に向けて

民主カンプチアと衝突を繰り返していたベトナム軍は、1978年12月25日、かつてはポル・ポトの配下だったヘン・サムリンの率いる「カンプチア民族救国統一戦線」とともに、カンボジアに対して大規模な攻勢を仕掛けました。翌年1月6日にプノンペンを陥落。クメール・ルージュにより王宮に幽閉されていたノロドム・シアヌーク王はプノンペン陥落の直前に北京に逃亡し、一方クメール・ルージュは、ポル・ポト、イエン・サリら幹部を含めタイとの国境地帯に逃れます。

プノンペンを制圧したベトナム軍は、ベトナムの傀儡の社会主義国家、カンプチア人民共和国 (ヘン・サムリン政権) を成立させました。ノロドム・シアヌーク王、ポル・ポト、それにかつてのロン・ノル政権で首相を務めたソン・サンの各派は、1982年に「民主カンプチア連合政府三派」を組織して、ベトナムとヘン・サムリン政権に抵抗を試みます。

ベトナム軍の侵攻は、結果的にはカンボジアをクメール・ルージュの支配から解放することになりましたが、カンボジアに対する侵略であることは否めませんでした。そのためヘン・サムリン政権は、国際的には認められず、民主カンプチアの握っていた国連の議席は、連合政府三派が受け継ぎました。こうして、国際的に主権を承認されているのは連合政府三派、カンボジアを実効支配するのは国際社会からほぼ孤立状態にあるヘン・サムリン政権という、二重政権状態に陥ることになります。いわゆる「カンボジア問題」です。

東西冷戦の緩和が進んだ80年代末、ソ連の自由化、東欧諸国の社会主義体制の崩壊などの流れを受けて、カンボジアでも紛争の政治的な解決へ向けて動き出しました。当時のヘン・サムリン政権の首相フン・センとノロドム・シアヌーク王との会談、三派連合各派とヘン・サムリン政権、関係諸国を交えての国際会議などが重ねて行われました。

そして1991年10月23日、19ヶ国により調印された「パリ和平協定」において、「国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)」の設置、武装解除と内戦の終結、難民の帰還、制憲議会選挙の実施などが定められました。ようやくカンボジアの平和と復興への第一歩が踏み出されます。

その後は、1993年4月には総選挙が行なわれ、同年9月には制憲議会が新憲法が発布されます。立憲君主制を採択し、ノロドム・シアヌークが国王に再即位しました。1997年7月に政変が起こり、東南アジア諸国連合加盟が延期されましたが、1999年4月には加盟を果たしています。

なお、ポル・ポトは1998年4月に山中で死亡しており、同年12月にポル・ポト派幹部が国民へ謝罪しました。2001年1月にはポル・ポト派幹部を裁く特別法廷が設置されています。

2004年10月14日、ノロドム・シアヌーク王は退任、息子のノロドム・シハモニが即位して現在に至っています。

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  • 第5回カンボジアツアー報告 追加 (08.03.18)